長年にわたる海外生活を終えて日本に帰ってきたヒッキーおばさんの相変わらずのヒッキー日記
鳥海山人の琴は現在どれだけ残っているかは不勉強にて知りませんが、この琴や他所で拝見した1張も含めそれは舶来の中国琴に正しく則った風格を持つ立派なものでした。
以前、東京と北京在職時に源了圓先生(1920-2020)のご尊顔を拝する機会が度々ありました。
イタリアでの学術会議に出席したときに同じく出席された吉川幸次郎先生が古琴のレコードを持参されていて、琴音を聴かせてくださったことがあったと先生からお聞きしました。※
源先生はかねがね「江戸時代の思想史研究者で琴(七絃琴)を知らないのはもぐり」とおっしゃっていました。
今日は「重陽」。
明日9月10日は先生の命日です。
先生のご出身は熊本。肥後熊本は江戸時代、七絃琴の音が響いていた土地柄でした。
※戦前、「百代唱片」発行のSPレコード、浙派琴人徐元白氏の演奏録音か。
吉川幸次郎 (中国文学者1904-1980)
源了圓 (日本思想史学者 1920‐2020)
徐元白 (古琴家 1892-1957)
今日は二十四節気の「大暑」。
ここ里山ではブルーベリーが飽きるほどたくさん実る季節です。
住まい山居の庭には10本ほど様々な品種のブルーベリーが植えられています。
それにしてもわたしたち人類の手、左右合わせて10本の指は食料の採集に都合の良いようになんと上手にできていることでしょう。
毎夏、感心しながら感謝しながら甘く酸っぱいこの天の恵みをいただいています。
例年にも増して酷暑の夏。
村の防災無線からは連日農作業中の「熱中症」予防の注意喚起。
そんななか昨夕は何度も目をつぶってしまうような上空を走るいく筋もの稲妻、その閃光のあと身構えるいとまもなく天空に響き渡り大地を揺るがす耳をつんざく大音量の雷鳴、落雷、そして滝のような激しい雨。
なんともスリリングな嵐の宵でした。
それはそう琴曲「風雷引」の音楽世界そのまま。
北京時代の若い頃、琴師王迪先生にお習いした「風雷引」。この琴曲、そういえばだいぶ長い間ご無沙汰してしまっている自分に気づきました。
暑さで体調を崩しやすい今日この頃。
みなさまどうぞお大事にてお過ごしくださいませ。
家蔵の一絃琴も持参しました。
お出かけくださった方のなかに一絃琴をお持ちだというご婦人がいらっしゃいました。
後日、そのご婦人は藤の花が咲くころに一絃琴を抱いて遥々山居をお訪ねくださいました。
ご婦人がお知り合いのご老人より託されたという琴銘の入った立派な一絃琴。
老人自筆の分厚い筆記資料も拝読させていただきました。
嬉しいことにその筆記に記された一絃琴の精神はまさに七絃琴の精神そのものでした。
母方祖父の実家にて「天啓」琴を弾く
福島県田村郡三春町 昭和61年(1986)
終戦の年、1945年春にかぞえ42 歳で亡くなった祖父は「漢学者」を自称していたと母から聞いています。
余談ですが祖父の実家は三春ダムの建設により水没。
その別棟、書院造の隠居は現在「三春の里 田園生活館」敷地内に移築されています。
勝手に応援させていただいている、琴人・飛田立史氏から、
写真をいただきました。
ご紹介させていただきます。
春節にあたり、写真を見せていただきました。
氏より
中国留学初めての国内長距離旅行。
1980年春節、長江下り。
陝西省西安市より鉄道で四川省重慶市に至る。
重慶市朝天門埠頭から乗船、白帝城、三峡、万県などをへて長江(揚子江)を武漢まで下る。
船内で一緒になった人民解放軍の女性兵士の皆さんと。
私が腕を回しているのは同じ北京語言学院のスリランカ人留学生ヘイワさん。
彼女たちにとってきっと人生初の外国人との交流であったことでしょう。
皆さんとうに退役されていると思いますが元気でいらっしゃるでしょうか。
当時、春節や夏休みなどの長期休暇の際に学校側が留学生向けに団体での国内旅行を組織していました。
北京発北京帰着、一週間余りの日程で参加は任意。旅の途中で旅行団からの離脱も自由にできました。
長江はその後何度か乗船地下船地を変えて下った経験があります。
別の機会ですが「板子1枚下は地獄」といった三等船室にも乗りました。
人いきれ、どこかの方言、獣のにおい、家禽の鳴き声に満ちた・・・空間。
こんな旅も好きです。