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ぽんず de 日記

長年にわたる海外生活を終えて日本に帰ってきたヒッキーおばさんの相変わらずのヒッキー日記

写真: 昔々の写真から 敦煌

勝手に応援させていただいている、琴人・飛田立史氏から、
写真をいただきました。
ご紹介させていただきます。
1970年代末期の中国をお楽しみください。
今回は、敦煌です。

敦煌は90年代にかけて何度か訪ねています。
もちろん敦煌県城より南西に70キロほど離れた陽関にも足を運んでいます。
わたしの使っている「琴薦」(弾琴時、琴卓上に琴頭下と雁足下の二か所に敷くいわゆるお座布団)には陽関の峰火台下で採取した砂漠の砂が入っています。

ちょうどシルクロード音楽の調査中でいらした小泉文夫先生(民族音楽学者 1927-1983)と莫高窟と敦煌県城を結ぶ敦煌文物研究所職員用のシャトルバスにご一緒したこともありました。わたしは高校時代、NHK-FM放送で朝方放送されていましたラジオ番組『世界の民族音楽』を愛聴していました。そんなわたしにとって初めてそれも莫高窟という場所で先生にお会いできたのは感激の出来事でした。
また後年、日本人考古学者のお供で常書鴻先生(敦煌文物研究所名誉所長 1904-1994)、李承仙ご夫妻を北京木犀地のご自宅にお訪ねしたこともありました。そのときの記念写真はわたしの宝物のひとつとなっています。

当時、宿は県城内の人民政府招待所か一般の旅社などにとっていましたが莫高窟にある敦煌文物研究所の招待所に滞在したこともありました。
色彩豊かな数々の石窟群は言うに及ばず莫高窟を照らす清々しい朝陽、砂漠の強烈な日差しを防ぐオアシスの涼しげに揺らぐ木漏れ日。そして窟背後の鳴沙山東麓に沈みゆく赤く巨大な夕陽、幽かに瞬く満天の星々などなど十二分に堪能できました。加えて研究所職員食堂のマントウとスープに漬物だけといったきわめて質素な食事も記憶に残っています。

そういえば研究所招待所に滞在したときに壁画の模写に北京から来ていた中央美術学院の教師、学生さんたちから「龍子太郎」というありがたい?あだ名をいただいたことなども何とはなしに懐かしく思い出されます。彼ら日本のアニメーション映画『龍の子太郎』(東映動画 1979年公開 原題 『Taro,the Dragon Boy』 中国題『龍子太郎』)を観たことがあったようです。

余談ですが今年8月に米寿を迎える父は53歳のときに脳梗塞で倒れました。長い間言葉がうまく出なかったのですが中国に団体旅行中、陽関に至ったとき「西のかた陽関を出ずれば故人無からん。故人無からん。」(盛唐の詩人王維『送元二使安西』の一句)とまとまった言葉が父の口から初めて出たと母から聞いています。

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