今日は6月4日です。
あれから35年が経ったのですね。
当時北京にいました。
その日、私は、郊外に遊びに行っていたことは覚えています。
「お気楽だったね」
と言われたことは覚えています。
でもあんなことになるなんて、思いもしなかったと誰もが思ったと思います。
だからあの日も、普通に遊びに出かけていたのです。
北京市内に戻ってそれからが大変でした。
テレビの「戒厳令」の布告...今でも思い浮かびます。
それからどうしてよいやら...
戦前から中国にいらっしゃる日本人方に相談したところ
「バタバタしないほうがいいよ!」
と言われたことを覚えています。
私はその意見を信じて北京に残りたいと思ったのですが、
結局周りにつられて、日本に帰国しました。
空港近くの外資系ホテルにたどり着いたのは6月6日。
外資系ホテルに入って初めて、海外での報道に接しました。
「え?こんなことになっているの?うそでしょ?」
それが私の最初の感想でした。
それは今でも覚えています。
それからのことは...
あまり覚えていません...
気がついたら、飛行機に乗っていて...
ケガした人が、最後に乗ったけど、何のけがだっのかな?と思ったり
機体が動き出した時、拍手喝さいだったこととか...
戻ってこれるのかな?とおもったこととか...
その後の話はいろいろあります。
記憶に残っていないものも多いです。
でも、当時日本中が、突然の帰国した人たちを受け入れようとしてくださったことを覚えています。
とてもうれしかったです。
特にT社の故郷の支社にはお世話になりました。