長年にわたる海外生活を終えて日本に帰ってきたヒッキーおばさんの相変わらずのヒッキー日記
崇禎17年3月19日(1644年4月25日)
李自成の反乱軍によりこの日北京は陥落。
これにて明王朝が滅亡する。
紫禁城(故宮)北門「神武門」前にセダン「上海」やバス、小型トラック(いずれも当時の代表的国産車)が駐車しているのが望めます。
大学時代、中国史専攻科の「班主任」(クラス担当の教師)は王天有先生(1944-2012)でいらっしゃいました。
明史の研究者であられた王先生。先生のお生まれになった年は奇しくも明朝滅亡からちょうど300年目だったのですね。
三春藩領には室町期の画僧雪村周継が最晩年暮らした庵があります。
わたしも雪村さまの画をとても愛する者のひとりです。
そして大好きな数々の画を描いてくださったことに感謝し庵裏にある雪村さまの墓といわれる石に手を合わせるのです。
余談ですが…
母方祖母の先祖は雪村庵から丘を二つほど隔てたところに住していました。
もし先祖が竹林の古径で雪村さまとすれ違ったとか、庵に雪村さまをお訪ねして楽しく語らった…なんてことがあったとしたら…などと大それたことを想像してはひとりで喜んでいます。
また母方祖父の先祖は樹齢千年三春の「滝桜」からそんなに遠くない村で数百年暮らしていました。(現在、三春ダムの底)
春爛漫のこの季節、雪村桜も滝桜も町中の桜も満面の笑みで訪れる多くの旅人を歓迎してくださることでしょう。
ここ山居の梅林も八分咲き、桜の蕾も膨らみ始めました。
鄙の山里にも春到来、田畑も目覚めの季節です。
北の林では「チョットコイ、チョットコイ」と小綬鶏が呼んでいます。
さあて今日も農作業のお手伝いに出かけましょう。
以前、足をくじいて、友達から
「伤筋动骨一百天」(筋肉、骨のダメージは100日たたなきゃ治らない)
と慰められたことを書きましたが、
またまた、足をくじいてしまいました...( = =)
もともと、転びやすい性質ですし、かなりの部分あきらめもあります。
何もないところを歩いていてグキっとなりました。
隣を歩いていた息子の腕を思わずつかみましたが、
息子がいなかったら、転んでいたと思います...
ほんと、悲しい...
息子が... と書きましたが、
東京に行って息子と出かけた時の出来事でした。
せっかく東日本に出かけたのだから、できたら実家まで行こうかな...
と思っていたのですが、すべてキャンセル。
東京で連絡しようと思い、連絡しなかったのが不幸中の幸い。
あくる日は休息日にして、その次の日家に戻りました。
100日といえば
今年になってから今日で100日。
100日って、遠いなぁ...
今一番の問題は、シップが使えないこと。
鎮痛消炎に良いと言っても、使えなきゃどうしようにもない!
シップにかぶれてしまうのです。
かゆくて、かゆくて、寝ているときに血が出るぐらい掻いてしまう...
いろいろ試行錯誤して患部を保冷剤などで冷やすことにしましたが、
それが一番良いような気がします。
ま、気長に治すことにします...( = =)